13:50
マーケットには本当に色々な食料品や生活用品の店が並んでおり、シアトルのパイクプレースマーケット (Pike Place Market) と同様、やはり果物や香辛料といったものが目を引く。ついでに、たまに兵隊がいるのも目を引く。持っているのは本物の銃のはずで、使う機会があるから持っているのである。それでも、彼らは街の風景に不思議になじんでしまっており、当然ながら兵隊の存在を気にする人は観光客ぐらいなものである。
それにしてもずいぶん細い路地が入り組んでおり、横田氏と、「ガイドがいないと今頃道に迷って (聖墳墓)
教会も行かないで疲れて帰っちゃったかもしれませんねぇ」などと会話。
13:55 幻想的な照明の空間に出る。やはり迷う人が多いのか、出会いポイントが設けられている。(写真右) 同じ写真に女性が通過しているのが写っているが、観光客でドイツ人らしく、Yuda にドイツ語で話しかけてきて、聖墳墓教会への行き方を教えてもらって去っていった。
14:00 アーケード街の幻想から醒めて地上に出るところには、カルド (The Cardo) と呼ばれる、パルテノン神殿みたいな石柱だけが残っている空間がある。昔のエルサレムのメインストリートで、全体像を記したマダバのモザイク地図 (Madaba mosaic map) なんてのもある。英語とヘブライ語の説明があるので、興味がある人は読んでほしい。後からよく見かけることになる燭台も巨大なものが展示されている。
14:20
ひとしきり歩いた後、遠くに岩のドーム (The Dome of the Rock)
を見ながら、いよいよ嘆きの壁に近づいていく。ここは入口の警戒が厳重で、空港のようにセキュリティチェックがあり、かつ入口も出口も男性用と女性用に分かれている。
自慢じゃないが、何回もくぐったセキュリティゲートの中で、金属の体と診断しなかったのはここだけである。ノートPC
に何だろうといぶかしげに目をくれる兵士に、それはカメラがついているんだ面白いだろう、と解説をつけてくれる Yuda。彼に言わせると、エルサレムの観光名所よりもキミの
laptop の方がよっぽど目立っているらしい。やば。
14:25 嘆きの壁 (Wailing Wall)。なぜ嘆くのか。かつてここにはユダヤ教の神殿がここに建っていたが、ローマ軍によって崩壊させられたあげく、大量にユダヤ人が殺された。神殿の名残として西側の壁だけが残った今でも、多くのユダヤ人がここを訪れる。もっとも、訪れる人々は普段着の人でぶらっと訪れた感じの人から、黒づくめの格好で毎週通うことを自らに課している正統派の男性まで、どのようにこの場所を信奉しているかはさまざまのようである。
嘆きの壁に近づく前に、興味深いのが紙の帽子が置いてあること。横田氏だけがたまたま帽子を何もかぶっていなかったが、壁に近づこうとして Yuda にちょっと待てと止められ、頭に乗せられた。
14:35 岩の隙間をよく見ると、紙がたくさん詰め込んであることがわかる。ここに書いてあるには、訪れた人一人一人の願いごとである。Yuda によると日本人も書いてかまわないらしいので、あることを紙に書いて詰め込んできた。
14:40 壁左袖から中に入ると、中では多くの正統派の人たちが頭を前後に振りながら集中力を高め、祈りを捧げていた。あまり彼らの邪魔をしてもいけないので立ち去る。
15:00 嘆きの壁を出て、オリーブの木を見ながら歩くと、Yuda が前もって携帯で指示をしておいたらしく、車が止まって待っていた。数時間ぶりに車に戻ってきて、なんだかほっとする。
15:30 車は旧市街を抜け、新市街へ移動し、国会議事堂の前で停車した。イスラエルは民主主義国家であり、象徴である国会、最高裁、政府官邸がこのエリアに集中しており、永田町といった感じである。国会の入口にはやはり燭台がおかれている。イスラエル銀行
(国営銀行) もある。
ちなみに Yuda
は最高裁の建物のデザインは個人的にあまり好きではないと言っていた。なんというか、つり橋を想像させる、斜めにワイヤーが放射状に何本も張られたデザインだった。
15:40 そろそろ、戻らないと帰りが混むというので、ハイファに向けて、車発車。来た道 (highway #1) を戻り始める。横田氏くたびれたのか熟睡。
Yuda と私は再びキブツについての話になる。すべてを共有するのがポリシーでうまくいっていたキブツも最近問題が出始めているという。それは職業がシェアされていて各人がどんな仕事も嫌がらずやる反面、責任範囲がないので、仕事がルーズになってしまい生産性がさがるといった問題だそうだ。また指導者になりたがる者がほとんどおらず、なっても指導力に欠けるらしい。
16:00 エルアル航空は現在国有だが、私企業に売ろうとしているとか、色々取りとめのないイスラエル談義がつづく。
16:20
テルアビブ市内に戻ってくると、さすがに混んできた。この時間、帰宅のためのラッシュアワーで、市内に入るのはスムーズだが、出るのは上下線とも非常に時間がかかるそうだ。
テルアビブ大学の横を通過。さっきヘブライ大学がもっとも prestigious
だと言っていたので、テルアビブ大学はどうなんだと聞いたら、結構優秀だよとあまりはっきりしない返事が返ってきた。どうも Yuda
の子供は、一人ここを卒業し、二人目は現在在学中らしいので、頭のいいやつらが通うんだ、ということになっているらしい。おいおい。
16:40 突然私がポラロイドカメラで写真を撮り始めたので、なんでノート PC
で撮らないのかと聞くから、「だってバッテリー切れたんだもん」と言ったら爆笑されてしまった。しかし、その Yuda の携帯電話も一日中しゃべり倒したため low
battery で使えなくなってしまった。
車内で約束どおりの $350US + 消費税 17% を支払う。チップ込みで合計 $440US
は横田氏と相談して、まあ効率よく楽しい旅ができたのでこれぐらいあげてもいいでしょうということで決定。
17:20 到着予定の 17:00 を渋滞のためやや超過したが、Holiday Inn Haifa Bayview
に帰ってきた。記念写真を一枚ずつ撮り、堅い握手を交わす。
明日はドイツ人を
3名、死海へ、その次はエルサレムへガイドするのだという。オフシーズンはまったく客がこないそうなので、ちょうど今のかき入れ時にがっぽり稼いでおくらしい。
Yuda いわく「今日はわしも楽しんだよ」
そりゃそうでしょ、僕らは面白い客のはずさ。
18:00 休憩後、食事と土産物を求めて外出。土産物、何にしよう。ちなみに横田氏はイスラム教徒がかぶる小さな帽子を購入したとのこと。
私は近所のスーパーで、あやしげなクッキーを購入。会社はこれでオッケーでしょう。しかしレジでクレジットカードが素直に読めず、時間を浪費してしまった。
それと地元のいかにも表紙が怪しげな新聞を購入。店の人間がやたら NIS <-> US$ 換算がすばやいのに驚く。きわめてイスラエルでは、2種類の通貨が同時に流通するのは普通のことらしい。
19:00 モンゴリアン・フードレストランにて夕食。Holiday Inn Haifa Bayview のすぐ隣の石段を降りたところにあるのだが、今まで休日だったりしてなかなか行けなかった場所である。入るなり美人のおねえさんに Shalom とごあいさつ、向こうも Shalom と返して「ん?!」という顔をした。一瞬何人かわからなかったわごめんなさいと魅惑の微笑みをされてしまった。
モンゴリアン風ということだが、とてもユニークなシステムであった。まずドリンクを選ぶ。料理は一種類だけ。セットメニューの前菜を食って (これだけでもかなりの分量あるのだが)、焼肉バイキングに行って好きな肉と、野菜と、タレを茶碗にブチ込んだ後、店員に焼いてもらうのである。というと、日本のお好み焼きのショボいのを想像しがちだが、違う違う。鉄板の上に茶碗の中身をぶちまけておいて、巨大ロング箸のバンブーダンス状態で肉をジュウジュウ押しつけながら、絶妙の焼き具合に仕上げてくれるんである。
ほくほくと茶碗を持って帰って、2, 3口食った私は、どうもおかしいことに気がついた。
辛い辛い!!
しかも時間が経つほどだんだん口の中がひりひりする。店員を慌てて呼んで、ASAP
で水持ってきてくれと懇願。親切な店員で、新しいのを作ってやるから来いといって、ついて行くと、さっき何を入れたのか聞かれる。どうも敗因はペッパーをピーマンと勘違いして入れてしまったことらしい。だってキャベツとかもやしとか、普通の野菜にまじってノーヒントで置いてあるんだもん。知らないのは日本人だけか、俺だけか?
店員がもどってカウンターで話を広めたらしく、向こうで爆笑する声が聞こえてきた。また話題を提供してしまったようだ。ふっ。
ちなみに横田氏は同じ過ちをおかしたはずだが、量が少なかったのか私より辛さに強いのか食ってしまったらしい。
なおすごいのはこの後で、店員のアレンジでタレは完全におまかせにすると、6種類ぐらいのタレを慣れた手つきでちゃっちゃっと入れて渡してくれた。
うまいんである。本当。日本の焼肉のたれも結構うまいが、微妙にレモンソースたらしてあったり、隠し味のオンパレードで、すまんがきちんと解説できません。カルメルエリアに宿を取った人は、ぜひ一度訪れてみるべし。
21:00 食いすぎで、部屋にもどってすぐに帰国の準備をしなければならないのだが、食いすぎのため眠りに落ちる。