TOHO シネマイレージカードの柄は「貝社員」にしている Nire です。こんにちは。
スカーレット・ヨハンソン主演のハリウッド実写版「ゴースト・イン・ザ・シェル」を観てきました。Twitter タグでは #スカヨハ攻殻 ですね。この強引なキーワード選びがすごい。
物理バトルは入口で、電脳世界が魅力だった原作
原作は士郎正宗の「攻殻機動隊」で、1991年の作品です。
最初に読んだときは相当に衝撃を受けました。
士郎正宗氏の漫画作品は、現実と SF の入り混じった、ミリタリー的な設定がめちゃくちゃ細かいバトルものが多いと思います。
攻殻機動隊でも導入は、目に見える範囲の火器と肉弾戦と戦車。世界の住人として、アンドロイドと人間と、その合いの子が出てきます。脳は生身だが、体は機械 (義体) 化された人間が、主人公の草薙素子ふくめて、社会にわりと普通に混じって生活している世界観になっています。
人格ごと電脳世界に侵入しての近未来の電子戦にも重きが置かれています。さらには、その先に自我とは何か、精神世界、一種の宗教的な話に入っていくような話になっています。1991年といえば World Wide Web の基礎が作られたインターネット黎明期。この時期に書かれたことを考えると、確かに近未来を先取りしていました。
原作に忠実、ひとつひとつのパーツは
実写版では、導入部分はトレーラーにもある通り、監督押井守氏、劇場アニメ版の攻殻機動隊をベースに作られているようです。主人公 (単に「少佐」となっている) が脳を全身義体に移植されて、公安9課のリーダーとして光学迷彩を身にまとい、ビルの屋上から落ちる…ように思いきやビル内に潜入ってやつですね。
一つ一つのパーツは、原作に忠実にとてもよく考え抜かれていると思います。CG で作られた上海っぽいクセのある街並みや、少佐の機械化された手足のパーツ、光学迷彩のような小道具、後半出てくる多脚砲台のような大型兵器も、SF 洋画で良くあるテイストに仕上げられてますね。阪華精機 (HANKA) 製のアンドロイドが、日本人的アンドロイドでなく、芸者姿のからくり人形みたいになっているのも、まあフジヤマゲイシャの日本人観もあるけど世界観的にはなじむ範囲です。
主人公の配役がアジア人ではなくアメリカ人なのはどうよ、という意見もあるようですが、スカーレット・ヨハンソンという配役なのは、少佐の雰囲気に合っていますね。公安9課全体がインターナショナルチームみたいなもんだし。
ビートたけしが荒巻課長役で、一人だけ日本語でセリフを喋ってるのも、リアルタイム自然言語翻訳や、脳内イメージを直接伝達する手段は充実しているだろうからアリだと思いました。あと意外に、チン・ハン演じるトグサがどこも義体化していなくて微妙に冴えない、だがそれが良い存在なのも納得。 🙂
後半になるほど「これじゃない」感
だが実写版後半になるほど、原作を読んだ人からは「???」の連続でしょう。
電脳ダイブのシーンは出てきますが、いや、もうちょっと士郎正宗お得意の「円を多重に重ねて攻性防壁を表現する」か、もしくは別の表現方法を編み出して、サイバースペース感を深めてほしかった。実写版のこれだと単なる悪夢描写なんじゃないかとか。
当面の敵キャラとして実写版には個別の11人側に「クゼ」というキャラが出てきますが、アニメの攻殻機動隊 S.A.C. 2nd GIG には同名のキャラが出てくるものの、設定は違いますね。
原作漫画のテーマとして途中から最後まで関わってくるのは「人形使い」という謎の存在ですが、実写版クゼはそれとも違う。あげくに少佐の身内が出てきて、実写版で重要な位置を占めていたり。
ビートたけし氏が荒巻というのは、キャスティング的にはハマり役ですが、原作ではこの人、大臣や政府官僚と裏でネゴる、シブい役回りの人なのに、スカヨハ攻殻では自ら銃をパンパン撃ってワイルドです。「その男、凶暴につき」に始まるビートたけし監督作品をみて、リスペクトで銃撃シーンやらせかったんですね。 🙂
ヒューマンドラマじゃなくて、「人形使い」との絡みが観たかった
原作漫画では、AI / アンドロイドのような人間の模倣と、体はサイボーグ化しても生身の脳をもった人間、この 2つを区別するものは何なのかをかなり踏み込んで描写していて、最後のほうは「あれ? 草薙素子はどうなったの? 人形使いとの対話のあと、最後に見たものは何だったの?」と 2度読み、3度読みさせる中毒性があります。
全体にはそれがなく、ハードウェア部分だけ頑張って真似たけど、これじゃシュワルツネッガー主演の「トータル・リコール」とか、ジャン・クロード・ヴァン・ダム主演の「ユニバーサル・ソルジャー」とか、記憶を改ざんされたり顔が変形したり SF 装備でドンパチしたりするんだけど、根底にある主人公の行動のモチベは、昔も今も変わらない人間臭いプロットそのまま。
自分探しや、人のつながりの大切さがメインではなくて、近未来に起こりうる機械と人間の融合、それによって起こりうる新しい社会現象、パラダイムシフトが最大の見所の攻殻が、すっかり洋画的にわかりやすい陳腐なドラマになってしまいました。
原作の精神世界をぜひ再現してほしい
原作の最後では、テーマに即した「ネットは広大だわ」の色んな示唆に富む一言が有名だし、押井守監督原作のアニメ版「GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊」でも終わり方は忠実ですが、
スカヨハ攻殻では、湾岸署は今日もゆくゆく今日もゆく的な終わり方で、とても残念でした。S.A.C ではこんな感じだったかな。忘れた。
登場人物も CG 技術もスカヨハもビートたけしも本当そのままでいいし、ストーリも百歩譲って少し変えていいけど、脚本は完全に失敗です。どうも脚本家は 2008年に映画化権を最初に取得して以降、二転三転しているので、その過程でグダってしまい、やりようによっては 2001年宇宙の旅テイストになる話が、フツーに興行収入が狙える王道テーマにすり替わったんでしょうかね。あ、邪推なので信用しないでください 🙂
まずは、士郎正宗さんと実写版監督ルパート・サンダースで首の後ろのジャックからぜひ直接接続し、言語でつたわらない真髄をイメージで伝えていただき、原作漫画で描きたかった世界観を忠実に再現し直してほしいなと心から思いました。
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