台湾ツアー、次は広大な面積と巨大な建築物群を誇る、中正紀念堂 (台湾民主紀念館) です。
中正紀念堂は敷地全体で 25万平方km というとんでもない広さで、四方を門と壁に囲まれ、90段ある階段を四方から上っていくと、中央に約15000平方メートルの記念堂が建っています。ています。迷ったら探しようがないので、ちゃんとついて来るようにガイドさんにクギを刺され、出発 🙂
政権交代で名前が変わる台湾の建物
中正紀念堂 (記念堂) という呼び名ですが、「中正」は台湾 (中華民国) の初代総統、蒋介石 (英語表記: Chiang Kai Shek) の「名」 (本名) のようです。しかし、途中で台湾民主記念館と改称させられ、現在ではもとの中正紀念堂に戻っています。そういえば国際空港の名前も、もともとは中正国際空港と呼ばれていましたが、今は台湾桃園国際空港です。
台湾の与党はもともと中国国民党でしたが、民主進歩党 (民進党) を初めとする勢力により政権交代し、新政権が旧蒋介石政権に批判的であったため、2006~2007年ごろにこれらの「中正」と名のつく施設を改名しました。しかし、現在ではまた中正紀念堂に戻しているようです。
ガイドさんいわく、このような体制が変わるたびに名前も変わるのは、よくあることらしく。政治に関しても、政治家のみならず国民の関心もやたら高いそうです。
記念堂の中と階段の上から見た景色
中正祈念堂の大きなお堂の中には、その蒋介石の巨大な像が設置されています。天井には台湾 (中華民国) 国庫の左側に描かれている青天白日の紋章が描かれています。
小高い記念堂の入口から正門広場を望む。
正面が、自由廣場と書かれた正門。この門の文字も、同様の理由で「大中至正」と書かれたり、元に戻されたりしているようです。
左側が國家戲劇院で、右側が國家音樂廳、2つあわせて国立中正文化中心です。(新) 国立劇場と、日本武道館というところでしょうか。
蒋介石の没年 (ただし数え年) に合わせて作られた 90段の石段の上から、カメラのフレームに収まりきらないこのスケール感。これで台北市内の敷地です。それだけ蒋介石の存在が台湾 (中華民国) にとって大きいのと、もともと派手好きな国民性によるところも大きいと思います。
「情」は、かつての日本が失ったもの
台湾はとにかく政治に対して「情」の思い入れが強い国で、成田離婚ならぬ選挙離婚まで本当にあるようです。総統選挙の際に、夫婦の支持政党が食い違ったことで大喧嘩になり、離婚してしまうんだそうです。
多少やり過ぎぐらいの元気さは、高度成長期のモーレツ世代に日本にもあったはずで、満たされすぎて失ったものなのかもしれませんね。
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