フェルメール展: カメラ画像より自然な「写実的な絵」はどうやって描かれたのか

お盆休みの最後に、東京都美術館で行われているフェルメール展に行ってきました。

40点の展示で、フェルメールの作品は 8点のみ

ヨハネス・フェルメールは 1632年生まれ、オランダにあるデルフト地方の画家で、作品が 30数点しか現存しないようです。

それって展示会になるのだろうかと思っていましたが、同じくデルフトの画家ビーテル・デ・ホーホなどの作品を集めて一度に展示するとのこと。実際、展示作品を順路どおりに見ていくと、フェルメール展と銘打ちながら、ほとんどフェルメール以外のデルフト画家の展示でした。

カメラよりも人間の目に近い「写実」

フェルメールの絵画で特徴的なのは光の表現です。

描く対象は、「マルタとマリアの家のキリスト」のような宗教画もあれば、「小路 (The Little Street)」のような一見写真に見える風景もあります。共通して言えるのは、屋外からの光の射し込み方が不健康さがあまりないというか、きわめて自然に見えることや、絵の中でポイントになる部分を明るく、精緻に描き込んでいることだと思います。

「手紙を書く婦人と召使い」という絵では、左の窓から光が射し込み、それにまっすぐ照らされている婦人が絵のポイントであり、明るくクリアに描かれています。後ろで控えている召使いは、半月のように左側だけ照らされている、そして壁に掛かっている絵画はダークに…という感じです。

どうしても通常のカメラで写した写真では、ピントの合う合わないという意味ではなく、絵全体が同じ解像度、同じ色数、のっぺりとした一様なリアルさがあるため、デジカメ画像はいくら解像度が高くても「写真」に過ぎず、肉眼で見たものとは違う人工的な印象を受けます。フェルメールの絵画を観るのは初めてですが、人間の目が興味を引くエリア (フェルメールが鑑賞する人の目を惹きたいエリア) だけコントラストが高かったり、細かく書き込まれていたりして、人間が実際の風景を見たときのようなナチュラルさがあります。

解像度は均一じゃない眼の構造、でもそれだけではない

実際、人間の眼では、網膜はカメラの CCD センサーCMOS センサーと違って、今見ている「ど真ん中」をとらえる中心窩がもっとも「解像度」も RGB の色彩を感じる能力も高く、そこから離れるにしたがって解像能力も落ち、どちらかというとモノクロのコントラストに敏感な世界になっていきます。

でもそんな眼の構造をそのまま反映したカメラが合っても良さそうなものですよね。と思っていたら実際にありました。

ニコン中心窩レンズを用いた環境認識 (PDF)

しかし…いや物理的には、網膜にはこのように映っているんでしょうけれども、何か違いますね。脳は、この建物は四角いハズだといった知識とか、見たいものや強烈な部分だけ印象に残るとか、網膜に映った画像に加工して都合の良いように処理しているはずです。フェルメールの絵にはそうした「加工済み画像」を見せられているような自然さがあります。

どうやって描いたのかが謎

1600年代にこうした絵をどうやって描いたかは諸説あるらしく、消失点を中心に放射状にひもを引っ張りつつ描いた、「カメラ・オブスキュラ」 (camera obscura) という一種のピンホールカメラを使った、などとされています。でも、遠近法的に正しい下絵を作ることができても、着色はそうはいきません。人間の「見え方」を計算に入れたフェルメールの色彩感覚によるものか、それとも画期的な手法があったのでしょうかね。

2件のコメント

  1. ひらと

    カメラ・オブスキュラで納得せず、着色に目がいったセンスはすばらしい。私もカメラが趣味なので、その当時、どうやって色のディテールを観察していたのか知りたい一人です。

  2. nire

    ありがとうございます。確かにカメラに興味を持つと、フェルメールの絵は色々気になりますね。

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